今回は僕が経験したレンジャー訓練の中で、あまりの過酷さに脱落していった同期達の話をしていきます。
正直僕自身は脱落せずに最後までこの訓練をやり遂げる事が出来ましたが
僕がレンジャー訓練をやり遂げる事が出来たのはハッキリ言って仲間の助けがあったからです。
自分一人では決して残る事は出来なかったでしょうね、、、
僕が挑戦したレンジャー訓練で脱落していった同期は2人でした。
今回はその2人の話をそれぞれしていきます。
それでは行きましょう。
レンジャー訓練で脱落していった同期その1:訓練中の怪我でリタイヤ
一人目の脱落していった同期の場合は見出しの通り怪我で脱落してしまいました。
怪我のきっかけは障害走をしてた時です。
障害走訓練の種目の中に綱登りがあるのですが、
その綱が消耗していて滑りやすい状態だったのです。
しかも僕たち実施者は手袋をしていてより一層滑りやすかったです。
その上助教達はとにかく『急げー!』と煽るので、その同期は慌ててしまい綱登ってから降りられずそのまま転落してしまいました。
落ちた同期は足を痛めその日から松葉杖を突きながら歩く羽目になりました。
本来ならその状態では続行は困難なのでそこでリタイヤするハズなのだが、当時の主任教官が
『ここにきた以上絶対に最後まで続けされる。例え泣き喚こうが』的な方針でしばらくは続行されてたのですが
そんな両脇で杖ついて歩いてる状態でレンジャー訓練は流石に無理あるやろ!とドクターストップがかかりました。
その同期は僕たち仲間に見送られながら原隊に帰還していきました。
その後消耗していたロープは新しいものに交換されていました。

レンジャー訓練で脱落していった同期その2:完全な意思崩れによるリタイヤ
もう1人の脱落した同期は完全に心がポッキリと折れてしまってのリタイヤでした。
その同期は訓練開始当初かレンジャーバディと気が合わずよく揉めていました。
あまりに仲が悪く助教の前でも口論した挙句手が出てしたったので助教に思いっきし何往復もビンタされていました。。。
そんなこんなで他の仲間からも嫌われていました。
心が折れてしまってよくバテるようになってからも誰からも励ましてくれなくなり「おいしっかりしろよ!」とか言われるようになりました。
彼自身もボソボソと『もう帰りたい』と呟くようになったのです。。。
そんなある日、なんと彼は駐屯地から脱走してしまったのです。
教官、助教はじめ僕たちレンジャー同期全員で駐屯地周辺を捜索しましたが見つからず、
彼の原隊「所属部隊」である隊員が実家まで捜索し説得の末原隊に戻っていったのです。
当然その同期はリタイヤとなり、しばらくすると彼は依願退職の形で自衛隊を去ってしまいました。
実は彼は過去にも1度駐屯地を脱走していた経歴があったので、事実上のクビとなったのです。。。
どうしても嫌になったのなら素直に『辞めます』といえば良かったのでしょうが、言える勇気もなかったのでしょうね。。。
それ以来レンジャー教育期間中、助教達が消灯後ずっと僕たちが脱走しないかを僕たちが寝泊まりしている居室を見張っていました。
まとめ
レンジャー訓練は自衛隊で最も過酷な訓練と言われています。
訓練が大変なだけでなく生活面でも常に時間に追われ、制限され余裕がなくなってしまいます。
なのでどうしても気が滅入ってしまいいろんなトラブルが起こりました。
なりより僕も含めレンジャー訓練に挑戦する人というのは結構我が強い人が多いので当初はまとまりがなかったりもしました汗
主任教官は、『大の屈強な大人が泣いてもう嫌です。帰られてくださいとお願いしてこようがお構いなく地獄へ引きずり込んでやった』という武勇伝を語る人だったし
あの環境で脱落者が2人だけだったのは僕も含め凄かったなと思いました。
僕の場合は本当にみんなに迷惑をかけてばかりだったけど。。。
今回の記事はこれで以上となります。
これからもガンガンレンジャー訓練体験談更新していきますので楽しみにしてください!
それではまた!
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